セバスチャン・クナイプの白黒写真
セバスチャン・クナイプの白黒写真

創業者 セバスチャン・クナイプとは?

クナイプの創業者であるセバスチャン・クナイプ。現代から振り返ると、彼の歩んだ人生はまるでひとつの映画のようです。

織物職人の家に生まれ、学ぶことが大好きだった若き日。彼は命に関わる病を経験したことで、“自然の力で人を健やかにする方法” に深く向き合うようになりました。その後、宗教や身分にとらわれず、多くの人を癒し、やがてその想いは国境を越えて広く知られるようになります。

ひとつの小さな村が世界に名だたる保養地へと変わっていったのも、彼の信念と行動があったからこそ。困難に直面しても揺らぐことなく、ただ「人々の健康のために」。その想いに、生涯を捧げた人でした。

セバスチャン・クナイプの人生をご紹介。

セバスチャン・クナイプの生涯を映像で紹介
Vom Sohn eines Webers zum international bekannten Wasserdoktor: Sebastian Kneipps Geschichte im Video.

「織物職人の息子から、世界に知られる“水の医者”へ」。セバスチャン・クナイプの人生は、そんな大きな変化をたどりました。

彼は生涯にわたり、水とハーブの力を活かした健康法を深め、「水療法の神父」として、人の体・生活習慣・環境をひとつのつながりとして考える、自然に寄り添った健康のあり方を提案しました。


では、なぜバイエルンの小さな村で生まれた織物職人の息子が、“水の医者”“ハーブの神父”と呼ばれ、世界に知られる存在になったのでしょうか?

彼の人生には、本に一冊まとめられるほどの多くの物語があります。ここでは、その中でもブランドの原点につながるエピソードをお伝えします。

答えは「いいえ」です。彼が学んだのはディリンゲンとミュンヘンでの哲学と神学でした。

ただ、その道のりは決して楽ではありませんでした。織物職人の息子として生まれた彼は、12歳の頃から家計を助けるために織機で働き、家畜の世話もしていました。そんな中、遠縁の司祭の助けでようやく高等教育への道が開け、学びたいという強い思いを胸に、27歳でようやく高校卒業資格を手にしたのです。

クナイプの最初の患者は、実はクナイプ自身でした。

学び始めて間もなく、クナイプは重い肺の病気(当時は結核と考えられていました)に苦しみます。

少しでも楽になりたいと思っていた中で、冷たい水浴の効果について書かれた一冊に出会います。そして、思い切って自分で試してみることにしたのです。

真冬のドナウ川で週に何度も冷たい水に入り、そのあと急いで部屋に戻り、温かい布団にくるまる――そんなシンプルな方法でしたが、しばらくすると、彼はすっかり健康を取り戻します。当時は命を奪うことも多かった結核を、こうして自分の力で克服したのです。

クナイプには早くからいくつものあだ名がついていました。

たとえば、1853年にコレラ患者を救ったことで「コレラを癒した神父」と呼ばれるようになりました。

さらに、植物の薬効に詳しかったことから「ハーブの神父」、そして水療法の大きな成功から「水の医者」という名前も広まりました。

ただ、クナイプ自身はこうした呼び名にこだわらず、自然療法を生活全体の一部として取り入れること 、つまり“体と心を整える、全体的な健康法”をより大切にしていました。

若い頃、神父になるためにいくつかの教会で経験を積んでいたクナイプですが、治療活動で評判になったことを教会の上層部は快く思わず、最終的にクナイプはヴェーリスホーフェンの修道院で告解司祭として働くことに。

これが思わぬ結果を生みました――その小さな村は、次第に世界的な健康保養地へと成長していったのです。そして、そこではなんと教会関係者までもが水療法などの治療を受けていたのでした。

オーストリア大公ヨーゼフから、ブルボン家のハインリヒ王子、スペイン皇太子ドン・カルロスまで名を連ねています。さらに、インドからはるばる長旅をして、バローダのマハラジャもヴェーリスホーフェンを訪れました(この村は1920年に「バート・ヴェーリスホーフェン」と呼ばれる保養地となります)。

中には、たとえばオーストリア皇后シシィや、1894年にはローマ法王など、特別に自宅で治療を受けた人もいました。

セバスチャン・クナイプは1897年6月17日、76歳で亡くなりました。当時としては驚くほど長生きでした。結核を克服したこともありますが、当時のドイツの男性の平均寿命は40歳にも満たなかったため、注目されました。

主治医アルフレッド・バウムガルテンの記録によると、腹部の腫瘍が原因で息を引き取ったそうです。

彼の死は世界中に衝撃を与え、ウィーンの新聞は、「批判もあったが、何千もの成功例がその治療を証明している」と報じました。

セバスチャン・クナイプ:波乱に満ちた人生の始まり

Landscape idyll of the Bavarian Stephansried

1821

1821年5月17日、バイエルン州ステファンスリートで、織物職人の息子としてセバスチャン・アントン・クナイプは生まれました。

父親は本を読むのが好きで、視野の広い人でしたが、家は裕福ではなく、幼い「ヴァシュトル」(バイエルンでよく使われる、セバスチャンのニックネーム)は家族を支えるために若いうちから重労働をしなければなりませんでした。

Rosary lies on an open book.

20歳の誕生日の日、クナイプの実家は火事で全焼し、彼がこれまで貯めてきたお金はすべて失われてしまいました。彼はカトリックの司祭になることを強く望み、神学の勉強をするために一生懸命お金を貯めていたのですが、その資金がなくなってしまったのです。

ようやく運命が好転。21歳のクナイプは、親しい友人であり遠縁でもあるマティアス・メルクレ博士に招かれ、グレーネンバッハでラテン語の授業を受けられるようになります。さらに、地元の司祭であり植物学者でもあるクリストフ・ルートヴィヒ・ケーベルリンから、薬草の世界を教わることになりました。

Historic classroom with school desks.

クナイプはドナウ川沿いのディリンゲンへ移ります。そこでは、彼を支援してきたメルクレ博士が地元のリセウム(高等学校)で教授となっており、クナイプに現地のギムナジウム(高校)への入学の道を開いてくれました。

Book stack with graduation hat.

高校(ギムナジウム)在学中、当時は命にかかわることも多かった肺の病気である結核にかかってしまいます。それでも彼はあきらめず、わずか4年で高校卒業資格(アビトゥーア)を取得しました。

水の癒しの力を初めて体験

1848

高校卒業資格(アビトゥーア)を手にしたクナイプ。これでディリンゲンやミュンヘンでの神学・哲学の勉強という夢への道が開けました。しかし、結核の症状はますます悪化していきます。そんな時、偶然手にしたのがヨハン・ジーゲムント・ハーンの著書『新鮮な水の力と人の体への効果』でした。

1849

その本に書かれていた水療法に刺激を受けたクナイプは、真冬のドナウ川で週に何度も冷たい水に入り、その後急いで暖かい部屋に戻るという方法を試します。さらに半身浴や水をかける療法も取り入れました。すると、体調は少しずつ回復していきます。この驚くべき効果に感動したクナイプは、1850年にはすでに仲間の学生たちを治療し始めていました。

1886

クナイプの著書『私の水療法(Meine Wasserkur)』が出版されました。この本には、すでにハーブ療法に関する章も含まれています。その後、人々の関心はさらに高まり、毎日最大150人もの患者が治療を求めて彼のもとを訪れるようになりました。

人類に与えられた水と、植物の世界から選ばれたハーブ ―― この二つこそが、病気を癒し、身体を健やかにするために欠かせないものです。

セバスチャン・クナイプ牧師
Sebastian Kneipp

1889/1890

クナイプの2冊目の代表著書『こうしてあなたは生きる』を出版。この本には、今に引き継がれている「5つの柱」の健康法を含む、ホリスティックな健康の考え方が紹介されています。この出版は、ヴェーリスホーフェンとその町の司祭であるクナイプの名声をさらに高めました。

翌年、町議会はわずか1票差で「クナイプ療法と保養地づくり」に力を入れることを決定します。クナイプ自身も、この頃から治療施設の設立に積極的に取り組むようになりました。

1891

クナイプ®ブランド誕生の年。セバスチャン・クナイプは、長年の友人であるヴュルツブルクの薬剤師レオナルド・オーバーホイザーに、国内外で「クナイプの哲学に基づく医薬品や化粧品を開発し、“クナイプ”の名前で販売する権利」を譲渡しました。その直後、「クナイプ製品センター」から最初の製品が発売されます。

1893

「セバスティアヌム」と名付けられたヴェーリスホーフェンの保養施設が完成してから2年後の1893年1月20日、クナイプの提案で地元に児童養護施設が開設されました。当時72歳になっていたクナイプは、どれほど成功しても、病気の子どもたちの幸せを特に気にかけていたことが記録に残っています。

1893

クナイプはローマ法王庁から「教皇の秘書官」および「モンシニョール」の称号を授与されます。

今や活気あふれる保養地となったヴェーリスホーフェンからローマへ向かったクナイプをローマ法王レオ13世はバチカンで迎え、クナイプの治療を受けました。治療によって、教皇の坐骨神経痛は、冷水での洗浄と食事療法の組み合わせで改善されたと伝えられています。

1897

1897年6月17日、クナイプは76歳で腹部の腫瘍により亡くなりました。

彼の死後も、彼の発見とそこから導かれた治療概念は、時代を超えて今日まで大きな影響を与え続け、クナイプ®ブランドとクナイプ製品の基盤となっています。

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水に浸された両手。

クナイプのホリスティックな考え方

水中に伸ばした手。

自宅でできる水療法。